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書における余白の美 -表現についての考察-
http://hdl.handle.net/10105/9862
http://hdl.handle.net/10105/9862a29f35af-e8e8-4e6a-8f0d-22aa0f7d3a67
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||||
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公開日 | 2014-06-17 | |||||||
タイトル | ||||||||
タイトル | 書における余白の美 -表現についての考察- | |||||||
言語 | ||||||||
言語 | jpn | |||||||
資源タイプ | ||||||||
資源タイプ | thesis | |||||||
著者 |
服部, 雅
× 服部, 雅
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著者(ヨミ) | ||||||||
識別子 | 53308 | |||||||
姓名 | ハットリ, ミヤビ | |||||||
抄録 | ||||||||
内容記述 | 書作品は、文字をあらわす黒と黒を取り囲む白によって成り立っている。両者の関係は創作上不可欠であり、白が占める割合によっては、作品の印象が変化すると考えられる。では書における余白に着目した場合、白は作品上でどのような形で黒と関係し、白のみせ方にはどのような技法がなされるのか。そこで、書作品における白の領域を取り入れる表現方法から余白の重要性を見出し余白美についての研究を行った。第一章では、余白のもつ意味について探り、余白を想像させ得る用語や現代書家の解釈から、余白に対する認識について述べた。第二章では、筆線から受ける影響について探り文字にみる具体的な性質の関係から白をどのように処理しているかについて考える。また、連綿線の有無による余白の変化について考え、王鐸の縦形式の条幅作品における文字と文字との関係から見出せる余白について述べた。第三章では、一文字中に含まれる余白に着目し,一文字の構成上、いかにして白を取り込むのか、そして白は文字に対しどのようにはたらきかけ、文字からのはたらきかけを受けているのかについて述べた。そして、書く文字の印象はどう変化するかについて、偏と旁にみられる余白や文字の最終部の特徴にみられる余白の処理に着目し考察を進めた。第四章では、王鐸の数作品を取り上げ、最終の書き収め部分である落款に含まれる余白について述べた。その上で、残された白の領域に対する王鐸の余白に対する考え方についても述べている。第五章では、第四章と同様に、王鐸の数作品を取り上げ制作年齢の違いから余白の処理の仕方と書法の相違点を探り、書聖と称される王義之と比較し、王鐸の余白観についての分析を進めた。結論として、文字中に白を取り込むこと、つまり余白を含ませることは、文字を白の効果で明るくかつ一字一字を大きく見せるはたらさがあると考えられる。そして、余白が文字を取り囲むことで文字の存在感を強調させていると考える。文字を取り囲む余白(白の領域)に対し筆線が入り込むようにしてはたらきかける構図は、余白が筆線や墨色から影響力を受けているかのように感じさせ、それにより前後左右の文字群に何らかの関連性を、作品全体に躍動感を生み出しているのではないか。余白を伴うことにより、書の美しさは一層奥深いものとなる。書における余白を見直すことは創作活動と鑑賞の際の柔軟な視野拡大につながり、改めて書の表現の緻密さを窺い知ることであると考えられる。また、書かれている文字というよりはむしろ、余白というある種特異な角度から書を分析することば、筆線の黒だけを目で追うのではなく黒と白の関係から書の美しきを感じるための様々な観察眼を養うということであった。余白の存在は、書の主役の一つといえる墨色や筆線を躍動的にみせ、それらを常に支えていかのように感じさせ、書の表現の幅を弦大させるために不可欠なものである。王鐸らの作品分析を終えて、改めて余白こそが書の魅力、美しさのひとつであると思われ、書における余白は表現の充実を促す重要な存在であると結論付ける。 | |||||||
内容記述 | ||||||||
内容記述 | 奈良教育大学修士学位論文, 学位の種類: 修士(教育学), 学位授与年月日: 平成26年3月25日 | |||||||
書誌情報 | 発行日 2014-03-25 | |||||||
著者版フラグ | ||||||||
出版タイプ | AM | |||||||
出版者 | ||||||||
出版者 | 奈良教育大学 |